NPO法人芭蕉翁おくのほそ道ネットワーク
おくのほそ道・櫻庭調査隊 2007.10.10 芭蕉はかさねと、どこで出会ったのか?
日光を経て 黒羽に向かう途中  農夫に馬をかり野中 幼きふたり 芭蕉は、小姫こと「かさね」に出会う。


芭蕉は 黒羽で、二人の兄弟の温かいもてなし受け、14日滞在する 5/21〜6/2(旧4/3〜15)
第2回おくのほそ道大学と旅・黒羽」 2007.9/19.20 
私達も黒羽 芭蕉の里観光ボランティア ふるさとを知る会の皆さんにお世話になった
300年以上たった現在でも 芭蕉と同じ思いであろう 温かいおもてなしとふるさとを思う情熱を大切にしたい


急遽  櫻庭隊長率いる おくのほそ道 調査隊の車は 
芭蕉と小姫が出会った地。 日光北街道 薄葉 かさね橋へ向かう。
そして 「かさねうどん」と呼ばれる、うどんとは?!!



おくのほそ道・櫻庭調査隊
2007.10/10 調査隊 行程
北千住駅 7:30⇒新越谷・浦和・佐野・矢板 
⇒沢観音寺(句碑)
⇒かさね橋(薄葉)
⇒なんじゃもんじゃ通り 曽良句碑
⇒やぶしげ(かさねうどん)
⇒栃木県の道の駅/那須与一の郷 道の駅
同じ敷地内「大田原市那須与一伝承館」
(記念式典10/5)
「扇の的劇場」と「那須与一展示室] 鑑賞
2班に別れさらに 調査
1班
五峰の湯(紙芝居に同行)
那須塩原駅⇒上野駅
2班
鍋かけ(句碑)
高久(句碑)

下野の細道 芭蕉の足跡をたどる 著者:鯨清 より


馬の背に揺られる芭蕉、徒歩で従う曽良、その後を追いかける小さきもの二人。
・・・後に、この場面は与謝蕪村の絵「奥の細道屏風」によって再現されたが、その、蕪村の絵をリリーフしたものが、いま、箒川に架かる橋の欄干の親柱に見られる。
橋の名は”かさね橋”振りかえれば、沢観音の岩山が、修行憎なら鷲の翼の拡げた如く見える、という場所である。
芭蕉が草刈るおのこに嘆き寄ったのは、この箒川を渡って間もなくのところ、いまの薄葉の八雲神社を過ぎて真っすぐ進んだ右手の道標にも、「かさねとは・・・」の曽良の句碑がある。
沢村ヨリ太田原へ二リ八丁
と、「曽良日記」にあるが、このあたりは、その、沢村と太田原のほぼ中間地点である。

おくのほそ道:芭蕉のたどった道 千住〜白河


江戸千住-
日光街道-粕壁(泊)-間々田(泊)-小山−喜沢
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日光西街道(壬生道)-鹿沼(泊)-愉木-例弊紙街道-今市(泊)-日光街道−日光(泊)-今市
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日光北街道-大渡-船生-玉入(泊)-矢板−沢観音寺-かさね橋-那須塩原の看板・曽良句碑
-
なんじゃもんじゃ通り-なんじゃもんじゃの木-かさねうどん・藪重-大田原
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黒羽街道-黒羽(泊)-野間-鍋掛-越堀-高久(泊)-那須湯本(泊)-芦野-白河(泊)

 かさね橋 ・ 箒川 ほうきがわ    栃木県大田原市薄葉
おくのほそ道より

那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。「いかゝすべきや。されども此野は縦横 にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬 のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。ちひさき者ふたり馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ、

かさねとは八重撫子の名成べし 曾良

頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。
酒井線先生の研究レポート

受講生&顧問 酒井先生のおくのほそ道大学黒羽研究レポート
弟1部 名画の趣 おくのほそ道大学黒羽教室風景/かさねしおり/芸術の秋めぐりアートデート・多彩な女性芸術家に出会う旅
弟2部 かさね栞「かさね里」創作 黒羽の芭蕉ガイド描いた作品
弟3部 おくのほそ道「かさね」のまちづくり的研究
かさね橋から那須連峰 黒羽  ふるさとを知る会の方と再会
沢観音寺 地下室へ探検 地元の人に聞き込み調査
沢観音寺 曽良句碑 かさねとは八重撫子の名成べし 曽良
なんじゃもんじゃ通りの曽良句碑:かさねとは八重撫子の名成べし 曽良 <裏>芭蕉と小姫の出会いの地に之を建てる 昭和51
かさねうどん「藪重」 不定休 さすが看板の品、充分納得満足 長〜い やぶしげさんの小姫
なんじゃもんじゃの木 五峰の湯で「ふるさとの会」による紙芝居 昼食:かさねうどん試食

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