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おくのほそ道大学の旅尾花沢 外伝ウッドヒューマンリレーションズ 2008.7.3〜5 酒井憲一※ |
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山刀伐峠を行く 山刀伐は冠の名だった 究竟の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我我が先に立て行。……高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。 山刀伐峠越えである。車も通じる至便の現今、歩いて登るインスタント峠道を、地元名士が芭蕉と曽良と究竟の若者に扮して先導する。ブナ、ナラが多く、木の下闇ではあるが、整備された短絡路で、それなりに、手渡されたハシバミの杖をつき、らしい気分にひたって汗ばんで登る。交差する獣道に似た旧道が、「歴史の道」として保全されていたのをかいまみて、そちらを辿りたくなった 山刀はナタ、鉈とも書く。それで繁茂するブナの枝葉を伐り払いつつ、「あやうきめにもあふべき」道を踏み分けて登る峠道でるところから、「山刀伐峠」という名がついたと思い込んでいたが、違った。山刀伐というかぶりもの(冠)に似た峠の様相から、山刀伐峠となったという。思いもつかない命名のことわりに、きょとんとした。
では、そのかぶりものはどのようなものだろうか。峠の頂に建つ「奥の細道山刀伐峠顕彰碑」の四十周年記念式典に参列した。先達の究竟の若者演者の中年と、おくのほそ道大学の梅津保一学長がそれをかむっていた。峠の地形に似た萱の帽子で、後ろが雨や虫よけの垂れ布である。なんとも奇妙な山刀伐峠のネーミングルーツだった。奇妙といえば、おくのほそ道には「山刀伐峠」という地名は出てこない。まして、木材物理学者・信田聡博士提唱の木と人の関係の科学「ウッドヒューマンリレーションズ」という語は出てこないが、それは「木と人のかかわり」でもあり、ここが古今ウッドヒューマンリレーションズの峠道であることに変わりはない。 現にいまの山刀伐峠への道は、限界集落のお年寄りたちが清掃したり、花を植えたり労力奉仕をしているといい、その姿が散見された。 それにしても考えさせられたのは、山刀伐峠が追いはぎの出る物騒な峠であったと思われ、肩身が狭くて心外だと、尾花沢の人に聞いたことだった。なるほど、豊かな自然でもあったわけで、村人の恵みとして快適なウッドヒューマンリレーションズがあったはずである。その点、半虚構で大仰な「おくのほそ道」と違って、客観的記録の曽良旅日記には「案内者ニ荷持セ越也」と冷静である。これが実態であろう。 |
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豪快な野外板そば そば、蕎麦尽くしの旅だった。手始めは、山刀伐峠のふもとまで進出してもてなしの「おくのほそ道尾花沢そば街道」の野外イベントである。そこで板そばをたらふく食べた。山形のソバといえば、大きな箱板に盛られた板そばであるが、そこでは大机をしつらえて、豪壮に食べる。ちらし風にいえば、 「尾花沢に来てけらっしゃ〜い! 雪国が育んだ自慢の大板そば!」となろうか。板を横つなぎに延々と並べて長机をつくり、ビニールをかけ、水を打ってそばを食べるそばからそばを補給する。そばと人の対話ではない。木とそばと人の対話である。豪快なウッドヒューマンリレーションズである。
「ギネスに申請したいほど大きくと、それなりにそば匠連中で仕掛けました。地物のそば粉にこだわっています」とは、カリスマそば匠の意気込みだった。 |
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銀山温泉女将うしろすがた 山刀伐峠の式典で、女人とのウッドヒューマンリレーションズが生まれた。神主のお祓いの最中に、楚々とした羽織の背に「ぎんざん」と紅の文字がある女性のうしろすがたが目に入った。その女人が急に立ち上がって碑前にすすみ、「銀山温泉おかみの会」代表として、真黄の紅花の花束をささげたのである。振り向いたときに見えた容姿に、いい人柄を直感した。
とっさに、一夜の宿を乞うてみる気になった。式が終わるのを待ちかねて近寄り、明夜の宿を頼んだのである。銀山温泉は、山刀伐峠と同じ尾花沢市内であるが遠く離れ、かつて栄えた銀鉱のまちに残る「大正ロマン漂う木造高層建築群の温泉街」として有名である。女人は温泉街の真上、白糸の滝の展望台に建つ、その名も滝見館の女将だった。「木戸さゆり、本名です」ということだった。 同夜は予約していた宿に泊まり、翌日大石田駅で落ち合い、女将の細い手によるハンドルさばきと、細いうなじを眺めているうちに、現地に着き、そのまま、往年の木彫、鏝絵飾りの絢爛さを誇る木造幾層の旅館の屋並みを案内してもらった。どうやら、どか雪の冬景色の木と人の睦みあいが最高と感じた。 一巡してから、滝見館に着いて驚いた。出迎えのスッタッフが、これまた息をのむ美少女だった。高卒入社2年目の智佳さんだった。 玄関を入って二度びっくり。築5年ということだったが、可能な限りの木質内装である。とくにロビーは、中央に一抱え以上もある大木が立っていて、天然木を生かした椅子や卓の憩いスペースとみやげもの売り場になっている。 「この大木は何の木です?」 「イチョウです」 「銀山ですから銀杏ですか」 「そういうわけではございません。イチョウは公孫樹とも書きますし……実家のおばあちゃんの家の二本の大イチョウのうちの一本をもらってきたのです」 「ほほう、おばあちゃんからのお祝いに?」 「そうですのよ」 「ウッドヒューマンリレーションズってご存じですか。木と人の関係の科学のことですが、木と人の快いかかわりあいといいましょうか」 「木はあたたかいから大好きです。木にこだわっています」 さゆり女将との会話である。浴場の仕切りも板塀である。理由を尋ねた。 「木は、しっくりと長持ちするんですよ」 |
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大けやきの根元隠し修景を慨嘆し合う 木好きのさゆり滝見館女将(専務)に、『東大アメニティ木材学とウッドヒューマンリレーションズ』を贈った。まさかその本で話が高ぶることになるとは、夢にも思わなかった。ところが、そこに書いた私の批判が間違いでないことが確かめられるという、感動のハプニングがあった。 第3章「アメニティ木材学物語」のうちの一編「根元から見せる塀」の現場は、実は根元から見せなくした塀の指摘である。その場所が県内の東根市で、なんと、そこから嫁いできましたと聞いて耳を疑った。すかさずその場で走り読みしてもらった。 東根城址修景による白壁塀施工で、日本一の大けやきの下方が見えなくなったのは、2004年のこと。たまたま視点場の研究で現地にいた私は、それを取材し批判的な意見を入れて専門誌に寄稿した。それがトップに扱われたが、この指摘に対して市民は沈黙、地元関係者の反感が感じられた。
女将は急いで読み終えた。 「その通りです。大けやきの根元が見えなくなってがっかりです」 私はすかさず問うた。 「白い塀は、前からあったのを修景したのですか」 「いいえ、ありませんでした」 ということは、危惧通り歴史的都市の修景パターンによる施工で、けやきの根元の見え隠れに無神経に、塀主体の工事をしたのだった。 「あの大けやきのところの小学校でしたから、けやきの全身を見て育ちました。それが市民には根っこから見えなくなって、けやきもかわいそう」 いままで私の批判に賛成だったのは、造園・造景学の泰斗進士五十八前東京農大学長が最初だった。そのときの言葉をはっきり覚えている。 「樹木の前は塀を開けるのは常識ですよ。農大の塀はそうなっているでしょう」 |
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郵便局長の好意で天の川をパリへ親書 樵が伐採する音のこだまは、たとえていえば波及効果である。山刀伐峠から下りて、森のホテルでNPO法人芭蕉翁ネットワークのおくのほそ道大学尾花沢講座が開かれた席で、開会あいさつに立った。それはいいのだが型どおりのあいさつが苦手で、当地の郵便局から芭蕉研究者でもある文化地理学者オギュスタン・ベルク博士あてに、拙著『東大アメニティ木材学とウッドヒューマンリレーションズ』を郵送するプランを壇上で打ち明けた。
つまり「七夕の天の川を飛び、14日の巴里祭までにパリに着くように投函します」と印字し、「尾花沢にて」と結んでプリントしてきた送り状を読み上げたのである。すると、地元役員席のひとりが声を上げた。 「私がその延沢郵便局長です。そのプランに感動しました。局から送らせていただきます」 こうして、「アメニティ木材学とウッドヒューマンリレーションズ」は、天河をパリへ飛んだのである。そのエピソードとともに、彼の地にその学問の種がまかれることになった。 曽良旅日記に「村有、野辺沢ヘ分ル也」とあるのが、延沢である。延沢局長が胸を張ってパリへ飛ばしますと名乗りを上げた気概は、この矜持であるとみた。そして帰京後、ベルク博士へ英文メールで「当地郵便局長好意の航空便になりました」と速報した。 けだし、「我名を仏五左衛門と云」や「ここに画工右衛門と云ものあり」の文体を意識して、「その名を佐藤という郵便局長あり」とメールしたのである。 |
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きよしズンドコ節の女人の杜 大石田の駅で東京まで、いまや贅沢な鈍行列車で帰京しようと思い立ち、待ち時間に界隈を散策した。木材集積場や製材所など木に誘われるようにぐるぐる回って、小さな森で足を止めた。氏神らしいこじんまりした社殿の雨戸が半開きになっていて、人影が踊っているのが見えた。近づくと、女人たちの踊りの練習だった。
旅の芭蕉の気持ちになって、「風流の初やおくの田植うた」の句を思い浮かべ、その勢いでころあいをみて声をかけた。 「盆踊りの練習ですか」 早乙女ならぬおなご衆は、七、八人。山刀伐峠の焼き印入りの杖をついたベレー帽の風体異様な闖入老人を見つめて、異口同音に叫んだ。 「ズンドコ節!」 「ええっ、盆踊りじゃなくてズンドコ?」 「氷川きよしのズンドコ節、ホッホ、ハッハ」 「なんして? コンクールでもあるのですか。そげに熱心なわけは? 出場団体名は?」 「なんと、老人クラブと商店会女性部会だけんど、コンクールじゃないよ。踊り好きのレクリエーションさ」 「そうなのですか。お若くて美しい! かさねちゃんのようだね」 「かさねって?」 一同首をひねる。「かさねはね」といって、持ち歩いていた「おくのほそ道」那須野のかさねのシーンを開いて見せた。みながのぞき込む。私は句を朗読した。 「かさねとは八重撫子の名成るべし 曽良」 「……」 「曽良とありますが、芭蕉の作ですよ。野飼いの馬を農夫に借りていくときの場面です」 そう前置きしてから、こんどは一節を朗読した。 「ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名を「かさね」と云。聞きなれぬ名のやさしかりければ」 おなご衆が真顔なので、こちらも説明に熱がこもる。 「この次にかさねの句がくるのです。このかわいくて、おくゆかしい少女の名前に感動した芭蕉さんは、その後名付けを頼まれた赤ちゃんに、かさねとつけたほどですよ」 と調子に乗ってしゃべった。 「それじゃあ、も一度踊ってみてもらおうよ、な、みんな」 リーダの一声で、ズンドコが畳敷きの広間で再演された。いくつもぶらさがった「上原神社」のちょうちんを背景に、軽やかに、なかには、バレエのトーシューズをはいた気配でくるくると舞う姿もあった。ラジカセから流れる氷川の声の高揚に、女性部会員たちはペットボトルを赤布で包んだ手製楽器を振り振り熱演である。 ズンズンズンズンドコズンズンズンズンドコ 風に吹かれ花が散る 雨に濡れても花が散る 咲いた花ならいつか散る 「おお、かさねちゃんもいつかはこの運命に……」とつぶやいてしまう。踊り子の額に汗が流れる。 汝が胸の谷間の汗や巴里祭 憲吉 の句まで思い出し、今様芭蕉の気持ちになって、うっとりと打ち眺める自分があった。古びたウッド空間のウッドヒューマンリレーションズだった。雷鳴が聞こえた。尾花沢地方では、雷を「ごろごろ様」「らいさん」というそうだ。ここで駄句。 ズンドコの踊りの杜に雷おこる |
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ハシバミ杖の駄々っ子 杖を曳くというと、杖を手にして歩くことで、散歩や旅をすることになる。僧侶の携える杖を柱杖といい、「しゅじょう」と読む。「ちゅうじょう」は慣用音だという。芭蕉は禅宗だったから、おくのほそ道の杖は柱杖というのであろう。「鹿島紀行」には「柱杖ひきならして……あめつちに独歩していでぬ」とある。「はしらつえ」と普通に読めば、なんと建築用語になる。木造の矩形杖、矩形棒のことで、部材加工の際、あらかじめ基準となる高さを印した物指のひとつである。 芭蕉の杖はどの木を愛用したのか。桑の木だといわれる。ふるさとで、桑の木を振り回して遊んだ記憶は、多くの人にあるに違いない。材質が硬く、工芸用材になるが、その硬さは杖によい。桑の実は夏、ハシバミの実は秋の味覚である。
ハシバミの杖は胸の高さだったが、硬さがほどよく、山刀伐峠には好適だった。ハシバミは西洋で「魔法の杖」や「占い棒」とされ、ギリシャ神話では「癒しの杖」として、人類との結びつきが深いという説明をどこかで読んだことがある。「木と人の関係」どころか、「木と人類の関係」とまで論じられては、魔法の杖の木らしいではないか。 ところで、山刀伐峠をついて登ったハシバミの杖を記念に持ち帰ったものの、途中のハプニングには振り回された。何があったのか。置き忘れるのである。探すと、とんでもないところで見つかったりする。 まず、山刀伐峠を下りてからの貸し切りバスで、置き忘れそうになる。銀山温泉では、帰りの滝見館バスの途中に、旅館からドライバーにケータイが入り、フロントに預けたまま置き忘れていたことが分かった。停車して待つことしばし、フロント氏が車で届けてくれた。 大石田駅から東京まで鈍行の旅をと乗った列車が、山形止まり。乗り継ぎまで小1時間ある。途中下車しようとしたが、切符がない。ポケットもバッグも探したが見つからない。絶望して駅員に紛失を申し出て、大石田からの6300円をまた支払い、「紛失再発行」のスタンプを押したキップを持って改札を出た。そのスタンプは、失せものキップが出てきた場合、払い戻しが受けられるサインだった。 二倍に高くついた鈍行キップのハプニングに動転して改札を出たため、気がつくと杖がない。駅員に「忘れ物ですッ」と叫んで、改札を入って先の居所あたりを探すがない。杖まで盗難かと驚いて見回すと、女子トイレの階段に杖の先っぽらしいものが見えた。 寄ってみた。わがハシバミの杖だった。漢字で書けば「端喰」と食いしん坊らしい語感のハシバミらしく、女人トイレまで独歩して行き倒れとは、芭蕉にも曽良にも恥ずかしいではないか。手のかかる子ほどかわいいように、手のかかったハシバミ杖は、「山刀伐峠」の焼き印をぶら下げ、何事もなかったかのように、かわいく書斎に鎮座している。 ※NPO法人芭蕉翁おくのほそ道ネットワーク顧問・千住大学学長 2008.7.9 |