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おくのほそ道・黒羽 弟3部2007.11.03日に日本アメニティ研究所研究大会で発表 おくのほそ道「かさね」のまちづくり的研究 ※酒井 憲一 |
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1 はじめに 『おくのほそ道』那須野で馬上の芭蕉を追いかける「かさね」を「小姫にて、名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ」と芭蕉が書き、「かさねとは八重撫子の名成るべし 曽良」(芭蕉作説が有力)を添えた華やぎの場面が印象的である。「やさしい」は、心やさしいだけでなく風雅の意味である。まとまった既往研究は見当たらず、アメニティ(総合快適性)の視点から、かさねを追って二度の黒羽現地調査を行い、野飼の馬を貸した草刈るおのこの心やさしいマナー風景などとセットして「かさねの里」づくりを提示した。 2 栃木県旧黒羽町調査 2−1 第一次調査(2007.9.19-20)と「かさねの里」構想 NPO法人芭蕉翁おくのほそ道ネットワークの「おくのほそ道大学と旅黒羽」一行と栃木県旧黒羽町(2005年10月大田原市に合併)の雲巌寺、黒羽藩旧跡調査のほか、西教寺、芭蕉の館などのかさね句碑を調査した。芭蕉の館にPR効果でよく知られた芭蕉・曽良のブロンズ像はあったが、同館はもとよりいずれにも芭蕉・かさね像やかさね像はなかった。 ガイドに当たった芭蕉の里観光ボランティア「ふるさとを知る会」は、30年の活動歴があり、創作紙芝居を通じてのガイドに長じている。しかし、メイン作品の『黒羽へようこそ芭蕉さん』でかさね場面を出してはいるが、レパートリー19作品中にかさね単独編のないことが分かり、その制作と芭蕉・かさね像の建立などを提案した。 地元へはまず重ね折できる「かさねしおり」として、『かさねの里』を私が制作し、「知る会」などに提供した。「知る会」の活動を紙芝居ふうに描き、「かさね」をキーワードに構成し、結びを「私たちは元かさねで〜す」とした。この配布は、かさねへの関心アップの一助となっている。『かさねの里』は、芭蕉研究作家・嵐山光三郎氏にも提示した。 2−2 第二次調査(2007.10.10)かさね橋ほか おくのほそ道大学の曽良研究家の案内で、大田原市薄葉の「かさね橋」と浅香の「かさねうどん」などを調査した。かさね橋の自然石の親柱に、かさね句と蕪村画かさねの銅版レリーフがあった。「知る会」とかさね的風景とグッズなどによるまちづくりを討議した。 3 「かさね」諸評価の点検 3−1 おくのほそ道関係本の「かさね」解説の点検 おくのほそ道関係本のかさねの項を収集して分析し、フィクション、虚実ないまぜ、実像説など諸説について考察する。 3−2 「かさね」への研究と実践課題 芭蕉が長期逗留した黒羽藩の由緒地を現代に洗練させ、「かさね」のやさしさを生かした人と風景と地域文化・経済の「かさねの里」づくりを志向した研究・実践を進める。 4 まとめにかえて 標題のスライドを制作
日本一の「かさねうどん」 「かさねとは八重撫子の名成るべし」は、おくのほそ道那須野で、馬上の芭蕉を追いかける「かさね」ちゃんを「小姫にて、名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ」と芭蕉が書いて添えた曽良句。実際は芭蕉句です。清楚な華やぎ場面です。 10月10日にそのかさねの里の調査に赴いたとき、栃木県大田原市浅香で「かさねうどん」に出会いました。藪重という蕎麦屋さんです。看板に「かさねうどん」、店内に小杉放庵のかさね画がありました。注文しますと、太麺が皿にどっさり。それを山菜とおつゆの丼につけていただく。椎茸はじめ茸類どっさりの濃い目汁で食べきれません。それで800円の超安!こんな贅沢初めて。お店のお嬢さんが描いたイラスト「やさしいオリジナルキャラクターかさねちゃん」が新鮮でした。 (赤ちゃん学校長) ★LINKAmenity Baby School赤ちゃん学校通信 週刊ベビマガ 第326号 |
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| 酒井憲一 ※AMR会長、JARC専務理事、神田川芭蕉の会会長、 芭蕉翁おくのほそ道ネットワーク・おくのほそ道大学顧問,、赤ちゃん学校校長 |
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