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「松島の月先心にかゝりて」の芭蕉と同行(どうぎょう)の思いで、東京西郊の家を出るとき、風花が舞った。この分ではみちのくの松島は吹雪かもしれず、月見への期待は千々に乱れて列車に乗った。しかし、現地は降雪に至らず、気をもませる雪催いの空で迎えてくれた。
「おくのほそ道大学の旅松島」の平成二十年一月二十三日、ホテル松島大観荘での梅津学長の講義は、いつもながらの梅津節のメリハリが効き、鼻濁音の魅力も加速して、笑いが潮騒のように寄せては返した。講師と地元の受講者とによる、同じみちのくびとの共感が共振したに違いなかった。
それにしても、巧みな梅津節に聴きほれて、講義の間は月見の話に吸い込まれるあまり、今宵今夜に期待をかける現実の月のことを忘れてしまった。
夜のしじま、松島湾内をクルージングする大型遊覧船。そこから投光器で舞台の書き割りのように照らされては、後ろへ去っていく島々。かもめの白い乱舞も浮かんでは消えていく。しかし、月影も粧う美人の顔の西施も、漆黒に隠れたままだった。
まず心にかかる月が見えないとなると、目標を失った人間の常として、代償を他に求めて関心を集中させていく。地元の語り部京野氏が、船中でキレイなあたまを深々と下げ、「私に免じて」と爆笑させつつ、月にかわって一行と通じ合ったパフォーマンスは、日本人の芸ならであろう。
月の代償への関心が集中したのは、翌日の壷の碑が最も見せ場だった。寒気凛冽、突風まがいの氷雪ならぬ寒風が吹きつのり、碑文の解説に声をからす地元ボランティアのことばを聞き漏らすまいと取り巻く一行の姿は、まるで極寒のシベリア日本人キャンプの映像に見えた。
碑の鞘堂はかの地にふさわしくないが、抑留された同朋たちが望郷の念から建てたものと幻影して、両手で耳を覆い、かじかんだ手をこすり、足踏みしながら(中にはぴょんぴょんと兎のように跳ねながら)の群像に胸を打たれた。参加者のひとり主婦写真家のみごとなスナップ写真でそれは追認できる。寒気と群像、見えないものと見えるもののボリューム感が、月の代償への執念のすさまじさを表現してあまりあるフォトである。
この旅、欲をいえば地元の方々の話がうかがえる懇談・懇親、参加者の一分スピーチの場がほしかった
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