NPO法人芭蕉翁おくのほそ道ネットワーク


おくのほそ道大学の旅
(2008.1.23〜24) 松島フォトレポート

                                       受講生 酒井憲一 1.30



撫で付け髪と紅花


撫で付け髪の語り部梅津おくのほそ道大学学長が、梅津節たけなわのとき、紅花はこの装いのごとくかと想わせる女人が、近いようで遠い、遠いようで近い咫尺(しせき)千里に立って、カメラを向けた。照れポーズどころか、にんまり語調を強める学長は、女人と顔見知りと認識した。みちのくなまりの地霊とともに在る学長の語り口は、カメラに吸い込まれ、いま映像としてここにある。ホテル松島大観荘は、この講義でさんざめいたが、月は呼べなかった。



学長とカメラの間の空中もみやぎ街道交流の道




臼杵にも京にも似ておわしますみ仏


渡月摩崖仏
(雄島)

 旅初日。まだ月が出るやもしれないと、淡い恋心のような気持ちで渡った昼間の赤い渡月橋。京は嵐山の渡月橋はさびた木色だが、これは祇園を想わせる。対岸雄島に摩崖仏が拝まれた。自然の崖に彫られた仏像は、西方からのお迎えを待つひとたちの信仰を集めた場だったのであろうか。今宵この仏の空を月は渡るのであろうか。摩崖仏といえば臼杵。臼杵にも似、京にも似て、けれど松島の地霊を感じた。


無月クルージング

 松島の月先心にかゝりてのはずが、ムーンライトは空に現れず、無常の心かゝりての暗夜のクルージング。夜目遠目というが、よく見えない。大型観光船から投光するゆきずりの島々だけが、回り舞台の書き割りそうろうに後ろへ不粋に去っていく。だれかが「月が出たっ」と叫ぶ。甲板にかけのぼる。薄明かりの空は、石巻港の明かりの反射とわかる。船は帰投し、海上(かいしょう)の旅人たちは、廻船と見立てた遊覧船から、幻覚の月を抱いて降り立った。



幻覚の月を抱いての船旅の終着



人影とだえた夜の松島公園駅前交番の若い巡査


松島海岸駅前夜交番

 月は出なかった。宴のエモーションを失った旅人たちは、月見酒のかわりに、フランス懐石を賞味し、ワインを飲んで、ホテルの中空から松島の空をまさぐり、失恋を知った。「でも、あれ月じゃない?」ぼうっとした眉掃きのようなぼかし空を差して、女人の声だ。急いで目をこらすと、月が薄雲のはがれるのを待つかのようだ。失恋に身をこがした私は、ひとりホテルを抜け出して、夜の松島海岸駅前交番を訪ねた。若い巡査が勤務中だった。真っ暗な道順を聞いて、昼間遊んだ雄島の此岸までいった。ライトアップされた長い朱塗りの福浦橋が望まれた。


雪の朝ぼらけ


一夜明けた朝ぼらけの松島は、6時半、温泉に漬かった裸同士の梅津学長と私の眼前に、紅花ならぬ白雪薄化粧でほんのりと現れた。みちのくの薄紙をはぐような払暁は、はにかみながら脱衣する松島の女人幻影だった。急いで部屋に戻り、カメラを向けた。まだ薄絹の松島は、見てはならないものを見た羞恥の名残にあった。まもなく、その静の絶景から雄渾なおのこの動の絶景へ変幻するまあいだった。




 
荘厳な松島の薄雪の朝ぼらけ



平泉ならずともつわものどもがの感懐を抱いた多賀城跡


多賀城古想


 いかに整備をしても、多賀城跡はうたた荒涼である。視線を地表まで沈めて見通したパースは、戦災で消失したばかりの古木の残る土くれの平ぺったい小段丘に見えた。政庁の役人がいかめしく執務をした所は、土盛りの築地造りに建っていたが、いま見るその断面はむらさきがかっていた。空は青い。雲は白い。昨夜のことは何事もなかったかのような天地は、月を隠した天象を糾す気配もない自然順応の往時の政務を思わせた。膚を刺す氷のような突風は、地つづきにある壷の碑に壷こそあれば、入ってよけたかった。古想は私の造語である。


終の末の松山

 水石界では、名品「末の松山」が話題になる。水石は鑑賞石のことである。その名も末松山宝国寺裏に聳える、ほんものの末の松山を仰いだ。「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」(後拾遺和歌集)の歌枕である。樹齢三百年という連理の枝を模した二本の老松だった。芭蕉が仰いだころの松は、今その奥に若く伸びる二本松の風情だったと想われる。壷の碑から徒歩十分。契りの末も終(つい)はかくのごときかと、声もなくたたずむ。しかし、見る地点によっては、暴風の折、いかにも波が末の松山を越えるように見えるという本を読んだことがある。



松のあひあひ末の松山




陽に輝く塩釜神社別宮の献魚


献魚台

何でも「三大何々」のひとつと形容するに巧みなこの国、松島湾は暖流と寒流の合流点で、世界「三大漁場」の一つという。松島、多賀城から塩釜に出て、塩釜神社に詣でた。別宮の拝殿で櫟原理事長にほらっと教えられて見やると、三大漁業場のひとつを代表して、一尾の魚が白波を切っている。「献魚台」の字が読めた。白波は陽に反射した新聞紙で、泳ぐのは何という魚だろう。見慣れた魚だが、魚名となると樹名と同様に浮かばない。豊漁を感謝し豊漁を祈る「献魚」の語彙に粛然とした。そのあと、魚市場で理事長にトロのいい店を見つけてもらい、三大魚場のほんの一端を自宅まで、旅の名残に運んだことであった。

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